人はたいへん弱い生き物だ。そのなかでも僕は特に弱いのではないか。ちょっとしたことで心が大きく揺れ動いて、随分と自分で自分を振り回してきたものだ。頑丈な大木のように立ちたいものだが、そよ風さえ痛く感じる程に、皮膚が薄く破れやすい。 カミュの「シシューポスの神話」の最初に、哲学の探求すべき最大のテーマは、人がなぜ自殺するかということだと書いていた。それ以外のことは、いくら大事なことだとしてもたいがい遊びみたいなもんだと書いてある。 この痛みのような感覚が、どこから来るのか分からないが、日々のいろいろな原因が重なることで痛みになっているのだろう。それが自殺と関係する痛みかどうかは、僕には今のところ分からない。だけど、きっとこの痛みの感触が何なのかがカミュの言う探求すべき最大のテーマなのだろうと思った。しかし、不安であったり寂しさであったり怒りであったりする様々な痛みも、喜びがあれば和らぐことがある。いくつかの喜びが重なれば痛みも消すこともできるはずだ。 人が争うときも、自殺とは違う仕方で、自らを傷つけているのではないか。心が何かと衝突して変形したり、穴が開いたようになれば、自殺と同じように死ぬこともあるのかもしれない。それから、生きながら死に続けるようなこともありそうだ。 叫んだりして、ストレスを発散することが可能なのは、言い表せない痛みを言い表す唯一の方法だからなのかもしれない。もし、叫びによっても言い表せない痛みが刻まれたなら、その時は黙るしかないが、それによって何かが解決することはあるのだろうか。見えない穴の底からでも叫び続ける強さが欲しい。
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