まっ赤になって  まっ青に視える

展示風景撮影:長野聡史

タイトル:まっ赤になって  まっ青に視える
素材:FRP,PIC,LEDなど
サイズ:可変(信号機は実寸大)
制作年:2021年

信号機をモチーフとした作品は、2005年に制作した「結果空っぽ」で初めて登場しています。2006年の人用パトランプ・救急者人用後光などの制作へと繋がっていきました。これらの作品を制作した当時は、社会から様々なことを吸収している時でした。人々が仕事へ出かける姿、ホームレスが雨のなか空き缶を拾う姿、テレビのニュース、バイトの面接で落ちる理由、ミクシー、スマホ…など、直接得た経験が感情的に作品になっていった時期でもあります。

2021年「はたらくアート」という展示に参加した際に、改めて信号機をモチーフにした「まっ赤になって  まっ青に視える 」を制作しました。2005年に最初に信号機をモチーフにした時期のことと、それから時を経てSNSの影響が大きくなった現在の社会とを考えて制作しています。昔から私には、信号機の中にいる人が労働者に見えてくることがあります。私も含め、ほとんどの生活者はこの労働者と似ています。継続して同じようなことを繰り返している私たちの人生ですが、時に大衆は、信号機の機能のように、人々の行動を抑制させたり促したりして社会を右往左往させます。この作品は、同時に発表した「透明になった鳥と神様の生活」の対として、一組として展示した作品です。

「まっ赤にぬられてヒロシマが視えた」という殿敷侃さんの作品があります。これは、戦争が終わって平和と言われている現在でも、今もなおヒロシマは戦争中のように燃えているように感じているという作品でした。赤いペンキでドローイングされたビニールシートを、原爆ドームの前で市民と共同で広げるアクションも行われています。

「まっ赤になって  まっ青に視える」というタイトルは、この作品から影響を受けて付けています。現在の社会も引き続き戦争は続いていますが、まっ赤に燃える風景だけでなく、複雑な政治模様や大衆の感情の渦によって引き起こされる、まっ赤とは違う色の何かに同時に吞み込まれているような世界ではないかと感じています。

それぞれ違うスピードで点滅させていました。