
タイトル:透明になった鳥と神様の話
素材:映像、プログラム、信号機(FRPなど)、など
制作年:2021年, 2023年
出演:リー正敏
同じような生活を繰り返す日常、人間の営み全体、繰り返す歴史や政治。人間は繰り返す生き物だ。繰り返しながら、ほんの少しだけ変化していく。
この映像作品でも同じような生活をしている姿が繰り返し再生されているが、ランダムに映像が抽選され、少しずつ変化する。
文玮という小説家が書いた「Moment of Life」という作品は、四季や曜日、時間等の単位で区切られた章立てになっている、短い話がいくつか収録されている小説だ。この章立ては、違う長さの時間単位で並べられた小説からは、時間を操ろうとしている意図があるように感じられた。本作では、この点に影響を受けて、プログラムを使用して繰り返す構造を組み込もうとしている。
サブタイトルにしている、透明になった鳥と神様というのは、プロメテウスと大鷲の神話からとってきたものだが、映像からは、一見すると鳥も神様も登場しているようには見えない。
プロメテウスと大鷲の話のポイントも繰り返す構造にある。長い年月をかけて繰り返すと、褒美が苦痛に、苦痛は不感症になるだろうということだと僕は思った。大鷲はプロメテウスの臓物を永久に食べることができるが、これは褒美であり苦痛に違いない。プロメテウスは臓器を食べられて苦痛を与えられるが、毎日同じ痛みを与えられると、きっと何も感じなくなったんではないだろうか。
同じことを繰り返すことは、物語を変えようとする力について考えようとすることでもあると思う。
上の映像は、2023年の「風倉匠と3号倉庫の作家たち」展での展示風景だ。2021年の発表とは違い、プログラムを全てつくり直し、映像、信号機、ブロワー、フラッシュライトの4点の組作品になっている。映像と複数のオブジェクトを同期させ、映像だけでなくその他のオブジェクトと併せて鑑賞する作品とした。
信号機の中の人は、いつも同じ動きを繰り返す。信号機の合図に合わせて動く私たち人間もまた、同じ動きを繰り返す。信号機は交通ルールを守らせるための機械だが、僕には信号機の中の人が、社会のルールに従っている人々を象徴しているように見える。


風倉匠の代表的なハプニングには、椅子からこけ続けるもの、身体に焼き鏝をあてる、バルーンなど伝説的な作品がある。ハプニングは、パフォーマンスとは違い予定調和ではなく、その場をかき乱すものだ。映像と同期したフラッシュライト、ブロワーは、信号機とは対照的に、時折乱暴に起動する。