タイトル:「限られた言葉とトイレの捕獲(沖縄)」
素材:映像 5分54秒
制作年:2013年

右から、韓国、中国、沖縄バージョンの3つを展示。
琉球語で「トイレ掃除をさせて下さい」とは、どう言ったらよいかを聞いてまわる映像。現地の青年も分からず、お年寄りを頼りに聞いてまわってくれた。琉球語を奪った日本人という国籍が撮影者である私に自動的に当てはめられ、奪った日本人が改めて沖縄の人に琉球語を訪ねて行くという構図になっている。撮影者の私と撮られた人達との非対称性は、過去の歴史に対して現在の日本人がどのように謝罪できるかということについての不可能性の現れでもある。しかし、このことは過去だけのことではない。現在においても変わらず構造的な差別が続いていることについて、引き続きこの不可能性を身にまといながら、謝罪や解決の方法を探すしかないことを意味する。この作品からある種のイラつきのようなものを日本人が感じとる場合、 無意識下で、自らも持ってしまうその非対称性を受け入れることができないことの現われとして捉えることもできる。無意識の植民地主義を脱客するためには、自らがまとってしまっているものについてまずは意識しなければならないと考える。
同タイトルの「限られた言葉とトイレの捕獲」は、中国・韓国・沖縄で行われた。これはその3部作の内の1つ。