another way 歌えない国歌

タイトル:「another way 歌えない国歌」
素材:映像 2分3秒
制作年:2013年

2013 個展『空っぽの音 満ちた声 それから その真ん中』(ARCADE/沖縄)  展示風景

 君が代の歌詞を一部しか覚えていない、またはメロディを正確に覚えていない人に、自分の分かる範囲の歌をそのまま歌ってもらったもの。この歌えない姿と歌声を聞いた時、僕には別の仕方で歌っているように見えた。彼等は、積極的に君が代を歌いたくないのではない。国家に対して反体制を唱えたいのでもない。ある世代とある地域では、平和教育の観点から君が代について指導しない教育を受けた時期がある。私もその一人だった。国家への所属意識が低い世代あるいは、地域と言えるかもしれない。独立し漂流しているような所属意識で生活をしているということだ。君が代という象徴的なものから、イデオロギッシュなものを引きはがし、ここに生きている人の姿自体を浮き立たせようとした。

 滞在制作時、 ネットと街頭で国歌についてのアンケートを実施をしている。その結果見えたのは、以下に示すように、ある世代にとっては、この作品の協力者や私のように、単に歌えないものであったり、歌えたとしても単にワールドカップやオリンピックで楽しむものであったりする。また年配層にとっては本土復帰後の正月に商店街で流れていたなど思い出として語られることもあった。またある世代にとっては絶対に歌いたくないものになっていたりと、世代間での差が見られた。

 もともと、戦後国民主権を原則とする日本国憲法と、戦中天皇賛歌として歌われていた君が代は合わないとされていた。しかし、1958年の学習指導要領に、行事などの際、君が代を斉唱することが望ましいという文言が入ることで、文部省の要請により少しずつ歌われるようになっていく。文部省は1980年に約3000校を対象に国旗掲揚、国歌斉唱の実施率を調査することで、さらに要請を強めていく。この時「斉唱した」と回答した学校が、卒業式で56~74%、入学式で47%~67%となっている。85年には初めて公立全校を対象に実施率が調査されている。

田中一郎・日教組委員長の話 君が代は歌詞の内容や、果たしてきた歴史的役割からみて、主権在民の憲法原則に反し、教育基本法の民主的教育理念を否定している。日の丸が国の標識として国内外で扱われてきたことは事実で、これは否定しないが、戦争中の暗い思い出がつきまとい、掲揚に積極的には賛成できない。今回の文部省調査は、地方議会などによる日の丸・君が代の学校行事への持ち込み決議などの傾向に迎合したものと考えざるを得ない。もし文部省が調査結果をもとに行政権によって各学校への日の丸・君が代の強制を指導するような場合には、反対運動を強化することになるだろう。

公立小中高を対象に文部省がいじめ・性の指導調査国旗・国歌問題も( 1985/05/06 朝日新聞朝刊 )

85年の新聞には日教組が取材されており、この段階ではまだ反対の声も大きいことが分かる。しかしその後、89年には学習指導要領に、国歌斉唱の指導が含まれ義務化され、義務化後90年に改めて全国調査が行われている。

入学式で、小、中、高校を通じて、「国旗」「国歌」とも実施率100%だったのは、栃木、群馬、富山、鳥取、香川、愛媛、佐賀、熊本、宮崎、鹿児島の10県と、政令指定都市では北九州市。85年は鹿児島県だけだった。
一方、「国歌斉唱」は、高校の場合、長野県、大阪府、広島県(広島市立を除く)と川崎市、名古屋市、京都市、大阪市、神戸市(いずれも市立)の8府県市でゼロ(85年は11)。小学校は7県6市、中学校も7県4市で5割を割っている。沖縄県では、85年には小・中・高ともゼロだった「国歌斉唱」が90%台に、「国旗掲揚」は、すべてが6%未満から100%になった。

日の丸掲揚、9割超す君が代は地域差小・中・高校の今春の入学式(朝日新聞1990.07.17 東京朝刊31頁)

 80年以降徐々に要請は強くなるが、それでも実施率が低い地域があったことが分かる。89年の学習指導要領での指導の義務化後、追って99年には君が代が国歌として法律で明記されることにより、さらに強制化され、現在はほぼ100%となっているそうだ。このように、現在では国歌として象徴的なものとして、君が代は歌えるのが当たり前だという見方もあるかと思うが、実際には90年以降学校教育における実施率の上昇によって、確実に定着してきたという歴史がある。
 また、これらの事実と照らし合わせ、その教育によって育った君が代をうろ覚えの世代の姿は、戦中の反省から創られた無意識の態度であると捉えることもできるのではないだろうか。