ティンプトンさん

タイトル:ティンプトンさん
素材: 画用紙、コンテ、インク、シャツ など 
制作年:2016年 

 中国に来て最初の頃、猫や小鳥まで中国語を話しているような気がし、木のざわざわした音まで中国語の音に聞こえてきた。人間の言葉をはっきり理解できない野良猫や野良犬達を見て、自分のようだなと感じた。その時、僕を見かける度になぜか声をかけてくれるおじさんがいた。彼が何を言っているか、野良猫である僕には全く分からない。会話の最後はいつも「ティンプトン(听不懂)」とお互い言いあって終わっていた時期があった。僕はその彼との、何を言っているか分からないが会話してくれる状況が好きだった。ティンプトンは、何を言っているのか分からないという意味だが、別れの最後にいつも使っていると、「またね」とか、「おつかれ」とかの意味まで含まれてくるような気がしてきた。それで、このティンプトンという言葉を僕は大変気に入り、そしてこっそり、そのおじさんのことを、ミスター・ティンプトンと呼んでいた。野良猫のようになった僕が、ミスター・ティンプトンとの会話によって、何か新しい言葉の使い方に触れたように思ったのだった。通常、意味の交換が言葉の目的だと思われているが、彼との会話では、意味の交換は目的ではない。挨拶なのだ。

 ミスターティンプトンとの出会いによって、僕はときどきティンプトンと書かれたシャツを着て出かけるようになった。これには2つの理由があった。

 1つは、外国人であることを表明しなければならないと思ったということがある。欧米から来ていた友人の話を聞くと、見た目が違うというだけで、一緒に写真を撮ってくれとか、やたらと街でも話かけらるし、そうでなくてもいつも見られているようで気分が悪いという話をしていた。同じアジア人なので、僕にはない経験だったし、野良猫のようになっている僕にとって考えつかない状況だと思った。それで僕はこのことについて少し考えてみたいと思っていたのだ。ティンプトンという言葉は、外国人にとってたいへん使いやすい言葉で、中国語会話で一番最初に使える実用的なフレーズと言って良い。実際、多くの留学生が最初に学ぶ言葉ではないかと思う。僕は、このシャツに書かれた「ティンプトン(听不懂)」を「外国人」の意味で使っていた。

 2つ目は、「野良猫」のような意味として、このシャツの「ティンプトン」を考えていた。外国人として生活を始めると、日々発見することが多すぎる。単純な生活に関しての隅々まで分からず、さらに言葉まで分からない。赤ん坊からやり直しているような感覚さえあった。ここまで文化的な差異による大変さばかり説明しているので、良いことも挙げておく。赤ん坊である僕は、同時に大人でもあるので、赤ん坊である自分の急激な成長を認識でき、たいへん充実している感じがしてくる。しかし、赤ん坊は一人ではどうにも生活できないが、野良猫は生活している。どちらかと言えば、野良猫に近い。野良猫も人間の言葉が分からないにも関わらず、人間と関わりながら上手く生きている。そのような動物的な言葉の使い方について考えていた。