芦辺浦 二〇三〇年一月吉日 三味線通り

タイトル:芦辺浦2030年1月吉日三味線通り
2020年1月制作
企画・制作・撮影・編集:寺江圭一朗
撮影協力:芦辺浦地区の皆様、ちんちりがんがん三味線の皆様、たちまち、芦辺浦懇会、等
時間:3分37秒

【内容】三味線通りという行事の提案をした映像です。
以下、提案内容とその方法です。

三味線通り行事の仕方。
1.内容に賛同できる方々で行う。
2.賛同者は決められた時間に自宅で三味線の練習をする。
3.自宅が難しい場合は、どこかに集まって練習をしても良い。
4.練習時は通りから音が聞こえるように配慮する。
5.賛同者は皆で三味線を弾く時間を決め、どこでいつ音がなるかを考える。なるべく同一時間にいくつかの場所で音がなるようにデザインしたほうが、より三味線通りの雰囲気が現れやすい。
6.時間と場所が決まれば、各所に三味線通りという行事をすることをお知らせする。他のイベントとの連携で行うことができれば、より効果的に周知できる。

【制作意図】
この提案は地域の方のお話を元にして制作されました。主に三つの話が制作のアイデアになっています。昔。今。未来。の三つの話です。

≪未来≫壱岐では二〇三〇年のことを想像させるSDGsの活動や事業がたくさんあります。そのことから、壱岐に住む方々は比較的、他の地域と比べて、未来について想像する機会が多いのではないかと考えます。僕は、この提案のタイトルに二〇三〇年と入れています。ですから、これも未来のことを想像した提案です。SDGsは、このままでは地球がダメになりますよ、という現在の社会への批判です。しかし、ここには文化は含まれていません。ですが、文化も自然環境のように、徐々に持続が難しくなってくるかもしれません。その為、十年後の未来でも、地域に文化が根付いていれば良いなという希望から考えた提案でした。

≪今≫ 祭りの直前でないと練習できていないという声を聞きました。それで、練習をするきっかけにもなるし、ついでにその練習の音が行事になるなら良いのではないか。という視点からの提案でもありました。この視点では、練習のきっかけづくりという意味合いがあり、これについて外部の人間が言うことは、たいへん大きなお世話だと自覚しています。しかし、そういう声が一部であったことは事実であるため、その声への応答として活用してもらうこともできると思いました。
(※ここでは、祭りについて少し触れていますが、この提案は、祭りに関する提案ではありません。あくまでも、三味線の練習音を使った、生活音の再現や、そのことへの気づきを与えるものであったり、練習音を使った行事の提案という意味です。)

≪昔≫ 三味線教室があり、その頃は通りから音が漏れていたという話を聞きました。それで、通りから音が聞こえていた時はどんな街だったんだろうか。僕も聞きたいな。と思ったということから提案しました。また生活の中から聞こえてくる音は人々の記憶にたいへん重要な要素だと思います。一時的にその音を再現するということは、当時の生活を想像することでもあります。それは、地域の伝統文化について考えることと同じだと僕は思います。

【制作背景】
  この映像は壱岐で開催された長崎しまの芸術祭2019に参加した作者が、芸術における公共性をどのように実現するか、または実現できないかを考えるためのプロジェクト「ケーマゲヒンマゲ」の一貫として、2020年1月に制作しました。 (※ケーマゲヒンマゲは壱岐の古い言葉で物事を急造するという意味です。昨今の急造ばかりの芸術祭への批判としての意味合いが含まれています。)
 壱岐市芦辺浦に昔あった三味線教室がある頃、通りからは三味線の音が聞こえていたというエピソードを聞きました。そのエピソードを元に、芦辺浦に三味線通りを出現させる行事を提案しました。SDGsに沸く壱岐市ですが、文化についても考えねば消えて無くなってしまうとの思いから、2030年に向け三味線通りが定着していくことを想像し、このタイトルを付けました。本当に三味線通りが現れるかどうかは、この提案を見て下さった地域の方に委ねられます。作者の一方的な提案ですが、一方的な作品ではないという構造を用いることで、芸術における公共性を確保する方法を模索した作品映像となりました。

【参考】

 祭り囃子三味線教室のおこり
 芦辺お祭り囃子で三味線方の役割は大きい。昭和三十年代、高度経済成長のあおりをくって、三味線をひく芸人が都会に出たので、多額の金と労力が大きくなり、一時は取りやめになるかと心配した。浦会・青年会・婦人会で何度も話し合い、郷土文化お祭り囃子保存の為、浦会で三味線教室を開設して、地元の女の方に習い取ってほしいとお願いしたが仲々人が集まらず、色んな問題で苦労した。

あしべ今昔 昭和58年3月1日発行 著者:中村八郎 より

 三味線教室は昭和四十八年に開設とこの郷土史には書いてあります。地元の方の話では、Nさん、Kさんと言う二名の三味線の先生がいたとも伝え聞きました。現在は教室こそないですが、この教室立ち上げ時に若くして参加していた方々が中心となり、芦辺祭の前には若手に三味線を教えているそうです。芦辺浦にはその時期、三味線通りが立ち現れているかもしれません。

【関連テキスト・報告書】
《 寺江圭一朗《ケーマゲヒンマゲ》プロジェクト (長崎県壱岐島、2019‐20年)報告 》キュレーター:花田伸一
「魔除けとしての公共」作家:寺江圭一朗

【関連記事】
2020年1月13日 芦辺浦集会所で上映後の記事(ケーマゲヒンマゲ)
2020年1月11日 芦辺浦2030年1月吉日三味線通り(ケーマゲヒンマゲ)

【関連ウェブサイト】
ケーマゲヒンマゲ

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