
タイトル:Gate
素材:画像(tif, 32692pixcel x 28764pixcel)
制作年:2025年
概要
写真作品内には、家について考察したテキストが書かれている。数十枚の写真を合成して高解像度にしているため、鑑賞者は写真に近づいて読みことできる。インドネシアでの滞在を通して考えた内容が配置されている。(※滞在の様子はこちらで滞在記を書いています。)


翻訳部分
もしかすると、彼は自分のことで忙しすぎて、他のことに気を配る時間がないのかもしれない。仕事がないときは、ただ部屋にこもっている。まるで常に閉ざされた入り口を持つ都市のようだ。コミュニティは存在せず、人々はそれぞれの家の隅にじっとしている。
休日が近づくと、彼らはストレスを発散するために一緒に飲みに行く。三連休があるときは、まるで予定された仕事のように、一泊二日の短い旅行に出かけることもある。長期休暇には、リゾートで大金を使い、束の間の贅沢を楽しむ。
自宅の扉を日常的に開けることは一種の贅沢だが、誰もそのことを知らない。
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ある人が言っていた。「すべての入り口は外の世界とつながっている。家の入り口は世界へ出るための門だ」と。入り口のない家を想像してみてほしい。もし誰かが入り口のない家に住んでいたら、どれだけ裕福に暮らしていても、それはまるで監獄にいるのと同じだ。入り口がなければ、外に出ることもできず、内と外の違いを考えることもできない。入り口を通じて、私たちは外と内を区別し、家を外の世界とは異なるプライベートな空間として認識する。
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プライベートな空間は、最終的にはその人自身の一部となる。誰かが突然、許可なくその空間(プライベートな領域)に入り込んできた場合、それは危険な存在と見なされ、受け入れられることはない。侵入者に直面したとき、人は時に自己防衛のために攻撃的になることさえある。それがたとえ隣人の煙や騒音であっても、許可なく自分の領域に入ることは決して許されない。
もし、「自分の領域に他人を入れない」という考えが強まり、それが結果的に自分自身にとって不利益となる状況になったとしても、彼らはそれに気づかず、ただ無視しようとするかもしれない。これは、プライベートな空間が過度に拡張されたときに起こる特有の現象である。
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私の社会的な環境は崩壊し、家の外には私の居場所がなくなった。かつて外の世界へと開かれていたはずの家の入り口は、突然、狭くて息苦しい場所へと通じる扉に変わってしまった。外の世界では、私は自分の意見をまったく言うことができない。入り口はその本来の存在感や役割を失い、より小さくなってしまった。
入り口の位置が分かりにくいように設計された建築物や、多重の鍵が掛けられた扉。それらが示すのは、入り口が本来の姿を失い、変質してしまったことにほかならない。
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「確かに、インターネットを使えば、突然外の世界とつながることができる。プライベートな時間でも、簡単に情報を得られる。ひとりでインターネットを使っていると、より多くの情報を得られるように感じるかもしれない。でも、どれだけ情報を集めても、入り口のない家はやっぱり監獄と同じよ」
そう母は言った。
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私たちが頑なに守ろうとしているのは、おそらく家族なのだろう。もし、家族を守る本能が、家という空間を築き上げ、結果として監獄のようなプライベートな領域を生み出してしまうのだとしたら、外の世界を疑うのは当然のことなのかもしれない。
家のデザインは、人が属する社会的空間に影響を受ける。トイレや浴室の設計すら、社会の設備によって左右されるし、庭や玄関といった「内」とされる場所と「外」とされる場所の境界も、公共空間の使われ方によって決まってくる。
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私は途中で歩みを止め、家へと戻った。いつも家の中で大切に飼っていた猫が、今は外にいる。どうやら、家に泥棒が入ったようだ。中でやめて、家に戻った。しっかりと家の中で飼っていた猫が外に出ている。泥棒が入ったようだ。