Gate: 部屋と外を繋ぐ

タイトル:Gate
素材:インクジェットプリント
サイズ:1000mm×1000mm
制作年:2024年

作品部分

写真作品内には、家について考察したテキストが書かれている。数十枚の写真を合成して高解像度にしているため、鑑賞者は写真に近づいて読みことできる。

写真内に書かれている文章

何も物が置かれていない部屋に、人間は住むことができない。もし、新しく借りた家に、ガスコンロも、冷蔵庫も、布団も、何も無かったらどうだろうか。引っ越して1日目に、ガスコンロが無ければ、近くのコンビニで何か買うだろうし、布団が無かったり、水しか出なければ、部屋には戻らず、シャワーが使えるホテルかネットカフェで寝たほうが良いかもしれない。何も物がない部屋を家に変えるには、必要な物を見つけて配置しなくてはならない。部屋に物があるから、家となり、私達は帰ることができる。試しに、物が何もない部屋を考えて欲しい。四角くて白い何もないワンルーム。最初は、無駄がなく、美しいと感じる人もいるかもしれない。しかし、その四角の中に入り、ポツンと体操座りをしたあなたを想像したら、憂鬱になってこないだろうか。これを憂鬱と思わない人は、外出しがちで、あまり家に戻らなくても平気なタイプではないかと思う。この憂鬱を埋めるには、少なくとも、布団や鍋などは家に必要だろう。できれば、机や椅子も欲しいし、電灯もあったほうが良い。他にも、余計な物を配置することで、ようやくその憂鬱感が消えていく。

韓国では、考試院(コシウォン)という、受験生などが勉強をする為だけに借りる部屋がある。部屋には、ベッドと勉強机が置かれており、台所やトイレは共同というのが一般的だ。部屋の広さは2畳くらいだろうか。不必要なことを排除し、勉強に集中するそうだ。このような部屋が家になりにくいのは、余計な物が無いからだ。私達が家を想像するとき、そこには必ず、生活必需品以外にも余計なものが存在しているはずだ。布団や鍋も大事だが、それよりも、余計な物こそが、私達の家を「私」の家にしているのである。考試院では、不必要で余計な物も、憂鬱な四角い部屋を家に変えるためには、必要な物がきっとある。この余計な物とは、「私」の大切な物であり、それらを配置した家は、「私」を表しているとも言える。

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私は結婚してから、家で過ごす時間が長くなった。最初のうちは良かったが、次第に体調が悪くなってきた。最低限の外出のみで、ほとんど部屋の中で過ごし、ネットやニュースで社会と繋がるのみで、パートナーとしか喋らない日々を続けたからだ。その積み重ねによる自律神経の不調だと思われるが、目が回り救急車を呼んだことがあった。それで、規則正しく社会と交わる機会が、私にも必要なようだと知った。家は、社会とは断絶されており完全に私的な領域であるため、人間が最も自由にくつろげる場所だと思われている。しかし、本当にそうだろうか。私的な領域も、様々な形で社会と繋がっており、家の中と外とは現に繋がっている。病院の6人部屋を仕切るカーテンのように、ゆるやかに囲っているだけであり、完全に私的な領域にはなっていないのではないか。そうでなければ、私的で自由だと思われている空間に引きこもることで、病的になってしまうことの理由が見当たらない。私達の家を、「私」の家にしている余計な物たちも、ほとんどは家の外から輸入されてきたものであり、外部を受け入れる形で家は構成されている。