無名有名問わず、自分を貫いた姿は美しいし魅力的だ。

たぶん自分を貫くとは、字のごとくとても辛いことであろうと思う。
痛いかもしれない。我慢することかもしれない。犠牲にすることがあるかもしれない。何の効果とも関係がないかもしれない。誰にも気づかれず孤独かもしれない。不幸かもしれない。貧乏かもしれない。死ぬかもしれない。

一端貫くと、 その穴はあいたままになるんだろうか。ずっとその穴は痛いのだろうか。何かで埋めることができるのだろうか。その穴の美しさに触れたとき、人は穴の開いた人の何かを信じる可能性がある。

僕達は見せかけの穴に騙される。見せかけの穴に感動できる。見せかけの穴を美しいと思える。見せかけの穴に憧れる。見せかけが見せかけだと分からないことがある。信じるとは結局そういうことでもあるんじゃないか。

きっとこの穴はマゾとサドなんだ。自分の限界を超えようと、自分を貫くように身体に穴をあけたくなるようなマゾとサドなんだ。貫いて穴があいて、それでも殉教者のように信じられる存在になっていなかったとしたら、その時は穴に何かが発生して埋まっているから気を付けなくてはならない。

自分を貫くとはそういうことなのかもしれない。